岡山教区 巡礼地 鶴島

 鶴島は瀬戸内海に浮かぶ小さな無人島です。岡山教会管轄の巡礼地になります。

 

  浦上四番崩れと呼ばれる長崎浦上のキリスト教弾圧の際、捕らえられたキリシタンのうち117人が明治2年(1869年)に岡山藩に預けられ、翌年9月に鶴島に送られた。明治6年(1873年)に信教の自由が認められるまで、開墾と改宗を強制されて18人が死亡している。島の南東の斜面に墓地があり、自然石による墓石や殉教者碑、十字架が建立されている。改宗の祠などともに墓地は備前市の文化財に指定されている。

 

 前後の歴史

 慶応3年(1867年)、隠れキリシタンとして信仰を守り続け、キリスト教信仰を表明した浦上村の村民たちが江戸幕府の指令により、大量に捕縛されて拷問を受けた。

 江戸幕府のキリスト教禁止政策を引き継いだ明治政府の手によって村民たちは流罪とされたが、このことは諸外国の激しい非難を受けた。欧米へ赴いた遣欧使節団一行は、キリシタン弾圧が条約改正の障害となっていることに驚き、本国に打電したことから、明治6年(1873年)にキリシタン禁制は廃止され、慶長19年(1614年)以来259年振りに日本でキリスト教信仰が公認されることになった。

 ちなみに、「浦上一番崩れ」は1790年(寛政2年)から起こった信徒の取調べ事件、「浦上二番崩れ」は天保10年(1839年)にキリシタンの存在が密告され、捕縛された事件、「浦上三番崩れ」は安政3年(1856年)に密告によって信徒の主だったものたちが捕らえられ、拷問を受けた事件のことである。これより前にも「大村崩れ」など、江戸時代中期には各地でキリシタンが発見され、処刑される事件が起こっている。文化5年(1805年)の「天草崩れ」もキリシタンの検挙事件であるが、刑死者は発生していない。